福祉広場だより 寄稿文2006年10月31日

岡田健司


  井上さんが休養中、WEB福祉広場の理事としてお目にかかります岡田です。このホームページを閲覧されるみなさんには私をすでにご存知の方、それは遥か遠方にお住まいで会ったこともないという方もおいでになられますので、少々自己紹介させていただきます。

  私は、2004年に親元から離れ地域での一人暮らしを人工呼吸器とともに始めました。というのも、先天性ミオパチーという緩やかに筋力が低下する障害(筋原生)を持っており、幼少の頃より入退院を繰り返しながら、小学5年を機に強度に湾曲した脊椎の固定手術を受けます。大方手術は成功でしたが肺に異常が残ったため気管切開をすることになりました。ただそれは人工呼吸器の呼吸のリズムが、2週間に及ぶICUでの混濁した意識を目覚めさせるものであったことは言うまでもありません。

  地域での生活を始めてもう2年になります。多くの障害当事者に支えられ、介助者にいっぱいサポートを得て「自分らしくあれ」という生活を後押ししてくれます。親元での暮らしとは違います。すべてが6畳で完結する生活でないことの実感はときに喜びを、悲しみを、不安を、そして期待を、明日の生活に繋げてゆきます。障害を持って生きることはこの社会にあわせるしかない。これがこれまでの私の生き方でした。そこから導きだされる結論は「がんばる」しかないということ。身体が動かないなら頭を動かす。でもなにかちょっと人間の本質に根づいていないメッセージを受け取って生きている。それは動かないものを動かそうとすることに近いのかもしれません。

  井上さんとの出会いは、私が一方的な旧知の間柄と言ってよいのですが、彼が市長選に立候補されたときに投票をしたのがきっかけでした。桝本さんは当選したもののさすがに数千票差という激レースに青ざめました。選挙期間中子どもが「きっちゃん」とお母さんに言うものですから、それまさに草の根の活躍でした。それが巡りめぐって1年前、私の所属する団体と京都頸損連とで自立支援法の学習会を開いたことがきっかけで、わずか何行の新聞記事を便りに彼が参加してくれます。お互いが知る間柄になり福祉広場の理事にもとお声をかけてくださいました。動かなかった関係が動くようになった。そこに何か因果があるように思えます。それがきっと福祉広場での私の役割です。

「自分らしく」あることは「がんばる」しかない。そうしなかったら社会に流されるし、自分の位置取りも確固としたものにならない。確かにそうだと思います。そうやって社会も動いてきたし、人間も動いてきました。そうやってタブーも出来上がりました。泣かない、弱音をはかない、寂しさは見せない、しんどいとは言わない。つらいとは言わない。そしてそれを言わせない。でも、いつしかそれは「がんばる」という社会が作り上げた抑圧の中で生きることだったりします。だから、そうやって「自分らしく」あろうとすれば動かない身体は動かず、普通の頭はうーんと賢くなれない頭のままでした。障害は不便じゃないこと。けっして忌み嫌うものじゃないこと。生まれてきて/くれてよかったということ。それを介してはじめて、動こうとする力はパワフルで、知性的で、創造力にあふれ、喜びに満ち溢れています。

  私と井上さんとの関係はこのように理解します。それは人間の本質にもとづいて関係を築くといったことでしょうか。私もそれを望みます。



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