ひゅうまん京都 寄稿文2006年6月

だから、その言葉をあなたにも

岡田健司


  自立生活センターが実施しているピア・カウンセリング講座は、2004年には全国各地で97件も開催(※)されており、コウ・カウンセリング(※)を障害者(同じ背景をもつ仲間)に有効な形で抽出したこのピア・カウンセリングが受講者を中心に浸透している。そんな、地方のセンターで講座のリーダーやサブ・リーダーにあたる人々のためのサポートグループが半月ごとに開催されており、5月上旬に私も参加してきた。

  その多くは重度障害者であり、なおかつ一人暮らしをするために、長時間介助を必要としている。支援費制度のもと自己負担が発生してから1ヵ月がたっており、それぞれに変化のある生活を送ってきた中での再会である。「4月からの生活に何か変化があった?」−自己負担はもとより、認定調査があり、介助派遣の事業をする人もいて上限管理や事務手続きの煩雑さが重なった日々であった。みんながみんな、どんな制度であり、どんなことが起ころうとしているのか、ということのだいたいは知っていて、起こったときにどのような対処をするかに時間を費やしてきたからこそ、口をついて出た言葉がそれであったと理解している。

  そんな折、今年3月に起こった(障害を持った二女殺害)事件の初公判が5月25日にあった。母親は冒頭陳述で自己負担は一律1割だと思い込み、被告人質問では「月3万円の負担になると思っていた」という。介護サービスをすべて止めたうえで、自らが介護にあたれば何とか凌げると思ったのかも知れない。しかし、想像以上に一人でおこなう介護の負担はきつく、しだいに手に負えない疲労が母親を襲ったのだ。たとえ正しい情報の周知徹底がなされたからといって、家族が介護を負担するという仕組みが変わる訳ではないから、問題はそう単純にならない。例えば同居家族の世帯分離による負担額の差が障害者の日常生活に与えた影響も計り知れない。通所施設の給食費が有料化されたため、昼ごはんを給食でとる人とそうでない人がいるのだ。この国が意図的に、ときには無批判に強いてきたその家族に障害者問題を内在化させる間違いは残ったままであるから、人の心情につけいった過ちを繰り返している。

  「何か生活変わりました?」−かかりつけの専門病院に入院する患者さんに声をかける。「いろいろ変わったねぇ」「お風呂に入るときのタオルが有料になったし、食事のときのストローに値段がついて、一本ごとに買うかどうか決めなければならないし」−変わるだろう、変わるだろうと思っていても、いざこう変わったと聞けば、その人がどんな生活をしていてどんな生活に変わったのかが分かる。だから驚きと戸惑いを隠せない。ある団体でともに活動する仲間が認定調査を受け、いよいよ私のもとへも支援センターの職員が調査に来るとの連絡が入った。どう質問に答えたのだろう。特記事項に何を書かせたのだろうか。「どうやった?」−そう聞いてみたい。あなたが生活を語ることは自分のエネルギーそのもの。だから、またその言葉をあなたにも。


※自立生活センター協議会(JIL)「2004年度活動調査」

※いわゆる再評価カウンセリングのこと