ひゅうまん京都 寄稿文2006年8月
今出川に面した北に伸びる通りで、今年一番の蝉が鳴いていた。
毎週土曜日の早朝から京都府全域に流れるラジオ番組がある。西陣の町医者だった早川一光さんの冠する番組で、ご存知の方もおられるだろうが、この番組は多くの市民に愛されており、朝6時からオープンなスペースに設置されたスタジオには毎週多くの方が聞きに来られるという。その番組内に市民が企画し市民が発言するスポットがあって、時相の事柄を市民の目線から視聴者に届けるものだそうだ。障害者自立支援法の一部実施が3ヵ月を向かえ、障害者の生活はどのように変化したのかを話して欲しい、そう白羽の矢が立ち、高齢の方に囲まれながらマイクに向かってお話をする機会を得た。
実態は自己負担の増加が、サービス利用の手控えを起こし、それにも拘らず施設から退所を余儀なくされ、そして施設経営は困難になっていくというお話である。これは「サービス利用の後退はさせない」と言っていた当時の責任者たちの自己矛盾を露呈させた結果である。ただ、明らかに障害者福祉は過渡期だとおもう。だからこそ障害者の自立を目指しつつも障害者の自立の妨げを内包させるという問題もある。
授産施設にかよう障害を持った女性は自己負担が工賃を大幅に上まわり、給食費も有料になったあげく職員が一般就労したらどうかと迫る。そんな生活の中で、どうやって一般就労したら良いのかさえ分からずに悩み、これまでの授産所で行われていた指導とはかけ離れた要求をする施設の態度に憤り、やるせなさが残る彼女の姿に胸が締めつけられる。施設運営は報酬単価が支援費対象事業所で1−1.3%減収(正確な数字でない場合はご容赦ください)になり、月額払い方式から日額払い方式に変更されたため、混乱と危機的状況に直面させられた。その影響で福祉労働者の人件費を削るか、報酬単価を上げる(利用者負担の増加)という、要は運営側と労働者・利用者側との拮抗した関係を福祉の現場に持ち込まざるを得ない。なるほど、就労移行支援事業のように、雇用に何人結びつけたかを公的な運営費に反映させて、成功報酬にもとづく施設に対する競争原理を導入しようとしているあたりは、福祉も市場からそう遠くないのかも知れない。そうしたなかで、報酬単価の引き上げという主張が施設運営と、労働者の人件費を守ったとしても、障害者の自立は守れず、逆に報酬単価の引き上げという主張をしない場合、施設運営も、労働者の人件費も、障害者の自立も守れないという関係に陥る。そもそも利用者負担がゼロでも福祉労働者の労働条件は良いとは言えないが。
まず、ここでの障害者の自立をはっきりさせておこう。私が考えるのは経済的自立である。障害者が人並みに暮らせる程度のお金を得ること。それが得られていない。授産所や作業所が働く場となり切れていない。事態の根源をこう見るのは悪くないと思う。そして、福祉労働者の労働条件を障害者のニーズに限定させない。言い換えれば、感情労働に押し遣らないことが必要だと思う。今のままではどんなにお客さんを作っても、障害者の自立にはなんの役にもたたないからだ(介助派遣もそうだ)。施設や作業所を経営する人が、身体的自立でもない、経済的自立でもない、第三の自立をなんぼ主張したって問題にほおかむりするだけでしかない。利用者の経済的自立を社会に向かって正々堂々と言う。できないものはできないと言う容易はしてあるが、だとしても、障害者が恩恵を受ける身ではなく、そこで労働をする身として、はたらく人の労働条件を勝ち取るために施設運営者は立ち上がるべきということだが、それで自分の身が守れるとは限らない。
ただそれはサービスではなくなる。