ひゅうまん京都 寄稿文2006年10月

「無題」

岡田健司


  秋が深まります。食欲の、読書の、そしてみなさんの実りは・・・。私はもうこれぐらいの気温から寒いので、今年の冬の暖房器具は何にしようか。灯油はすぐに空気も悪くなるし、頭も痛くなるから、やっぱりオイルヒーター!でも温まるまでに時間かかるんだよな、などとブツブツ言いながら、いかに身体をいたわるか、快適に過ごせるかを思案中です。

  先日10月1日、「自立支援法の欠陥を明らかにする市民のつどい」「やっぱりあかんで、応益負担、自立支援法反対集会」が開催されました。正午過ぎからの集中豪雨にも関わら350名(総計)もの参加があり、本格的実施を迎えたその日にその関心に答えるという意義を実感する日になりました。私自身は、当日午前中のシンポジウムのパネラーとして参加させていただき、アンケート調査に寄せられた障害当事者の声を集め、並べ、そこから考えたこと、考えられることをお話させていただきました。応益負担の問題を軸に、それが本人に、そして家族に、そして社会にどのような影響があるのか。その影響をどうしたらプラスに変えていけるだろうか、という設定をしています。後日ひゅうまん京都でも詳報があると思いますので、お知りになりたい方はそちらでどうぞ。

  それにしても、このアンケートに寄せた障害当事者の声は力強い。これほどまでに自立支援法の問題を明らかにしているとは思いも及びませんでした。わたしが四の五の言うよりかよっぽどその声を読んでみたら、なにが問題か分かると思います。言い換えれば、これを聞かずして障害者福祉を語るなと自省の念も込めていわなければなりません。それは、こんな問題がある、これが3年続く。理念を作るのには意味がある。あるけれども問題が理念を凌駕していること自体おかしいし、問題に理念を合わせていきますじゃ、どうしたって3年待てという話になるじゃないか。しかも、待っても待っても障害者福祉が抱えていた問題が解決できない。応益負担によって逆にその問題がなおざりにされてきたことを露呈させたぐらいですから、いますぐ問題が明らかになったんだから止めなさい、という主張は間違っていません。3年も待てませんよ、ということです。だから、京都市の不祥事事件でひっきりなしに忙しい新聞記者さんが、取材にこられなかったことには残念でしかたありません。ここからですから、問題なのはいつも。ただ、取材ソースをこちらから持参して載せてもらう、という活動もある訳ですので「それでこそ新聞!」となってもらいましょう。

  9月の最終週に、しっかり「仮」と押印された程度区分入りの受給者証が届きました。いわゆるそうみなして(支援費とおなじように)支給決定しましたので来年2月までお使いください、というものです。まだまだ届いていないところもあるということです。支給を受けた程度区分入りの程度よりは上がることはあっても下がることはない、のだそうです。ただ変わるとだけ書いてあれば不安ですよね。しかもそれが本当かも分からないのでいっそう不安です。安心してサービスが受けられない。いまのこの国の足腰の弱さを如実に示しているかのようです。それで格差だけどんどん広げていく。住む地域によって障害者本人の負担が異なる。公平なサービスという理念は、公平な不安というサービスを広げるだけでした。まだ、マクドナルドのスマイル0円の方がうれしい。どこ行ってもくれますから(そうでもないか)。

  次期総理も決まりました。美しい日本を目指すそうです。さて、美しいとは。だいそれたこと、政治のことだけじゃなくても、その美しさは「障害」そのものに光を指すものなのか。障害を持っていようが、なかろうが生きていて良い、と言えずできずなのだからそんなものには関心なさそうです。そうだ。次の休日にはルーブル美術館展に行こうかな。あの芸術はたしかに美しい。