ひゅうまん京都 寄稿文2007年1月

激動の後に待つものは

岡田健司


皆さん、おめでとうございます。

  一年の計は元旦にあり、と申しますがいかがお過ごしだったでしょうか。さて私はというと、元旦をあくる日に控えていそいそと買い物へ。 「数の子」と「黒豆」と「ごまめ」のおせち三種とお餅を買い込みしっかりとあの親からこの子(私)へと血が流れているのを実感しつつ、味付けされたごまめがないので自らが味付けしたりしてました。「うん、実家の味に近い!」と感慨深げに本当に帰った3日。なんと、実家のおせちは生協さんの三段重ねの立派な物でした。育ててくれた記憶は私自身の中にだけ残っていくのですね(笑)。豊かな正月を過ごせたと思っています。

  さて、障害者自立支援法を取り巻く近況のお話をせねばなりません。皆さんすでにご存知かと思いますが、昨年行われた「出直してよ!障害者自立支援法10・31大フォーラム」での実行委員会が呼びかけた応益負担の中止を求める緊急署名が43万8千人分も集まりました。第一次分の集計は約2週間で締め切られましたので期間の短さを他所に相当の反応があったのだと思います。それは冷たい雨が降りしきる京都タワー下での街頭署名(12月9日)にも現れており、チラシや垂れ幕などを見るやいなや署名をする人、一度は通り過ぎたけれどやはり戻ってきて署名をする人、年齢層も若い人から高齢者(激励つきの)と様々です。何ヵ月前とは見まごうばかりの反応に、これは「自立支援法そのものを知ったうえでのことなのだ」と思い至ります。

  たしかに、以前に比べると新聞やテレビなどでクローズアップされる機会は増え、一割負担の問題がより明るみになりました。街頭署名の2日後、南区社会福祉協議会が主催した自立支援法学習会では、冒頭1時間30分を割いてサービス体系やサービス内容、利用者負担や社会福祉法人減免などの負担軽減策の説明がなされ、その後私を含め当事者からの発言が続くという場に参加してみると、やはりこれも違った雰囲気が会場を包んでいるのです。この会場にいる人たちも何かを知っているし、何かを感じているし、私たちが正確に実態を語ればあまりにも根拠のない法の理念が浮かび上がる。そういう所まできているのかも知れない。

  根拠のない法といえばこの間の改正教育基本法の強行採決があります。改正の趣旨は「教育内容への国家介入」にありながら、改正目的が「いじめ問題」などに見られる子どもたちの置かれた状況を抜本的に解決するものではないらしく、そこに介入せずしてどこに介入するのだ、と言いたいのですが、また成立過程では「やらせ質問」や「世論誘導」を公然と行ったうえで、多くの国民の理解を得られたと言うのはおごがましすぎるし、さらにいうと扱っているのは教育(=知る権利)なのですから当事者不在も良いとこだろうと思うのです。この法律の改正に反対した良識ある人たちの主張はこんなものではないと思うし、その思いが伝播して反対運動を大きくしたのでしょう。一度は食い止めたけれども通ってしまった。いま彼らの活動は反対運動の中で培った基本法の存在価値の確信をどこに持ちつつ、改正法のもとで改正・制定される教育法令を見過ごさない気概に渦巻いています。

  やはり、ふとこんなことを考えてしまいます。こんな法律はいらない、出直してほしい、そう主張する確信をどこに持ったらよいのだろうか。人間らしくあたりまえに生きていたい。このことを実現してきたものって一体何だろう。前回の記事では「人間の尊厳」をキーワードに書きましたが、もう一つこの鍵を紐解く力が私にはありません。そこで皆さんにもお知らせしたいのですが、2月10日午後1時半よりラボール京都にて「貧困と格差をなくそう−憲法25条を今に生かす集い−」が行われます。私も発言者としてでますので、ご一緒に考えてみませんか?

  きっと、長い歴史の中で培われてきた豊かな人間らしさの拠りどころが見つかると思います。