ひゅうまん京都 寄稿文2007年4月

運動ぼっちゃん、今日も歩く

岡田健司


  出会いもあれば、別れもあり、天気の日もあれば、雨の日もある。すべてが何か新しい印象をともなって、ときめきに胸おどる日が増えてきました。みなさんいかがお過ごしでしょうか。一年間におよぶ「ひゅうまん京都」紙上での執筆にいちおうの区切りがつき、年度をあらため、みなさんと繋がる機会を編集長から頂きました。今しばらくのお付き合いどうかよろしくお願いいたします。

  さて、この4月1日で自立支援法が施行一周年を迎えました。この記念すべき日から悪い出来事を上げればきりがないくらいに私たちの生活は一変してしまい、日に日に気が滅入る月日を通り越してここに生きています。この号がでる頃には、京都市役所前での街頭演説会とパレードが行われた後だと思いますが、1年前の施行に憤慨してますます活動に気がはいる人、活動なかば無理がたたって倒れた人、ケガをした人、活動にまい進することに地団駄を踏んだ人、いろいろです。いずれにしても煩わしくて、しんどい作業の繰り返しで、心休まるときはなかったというのが正直な感想です。まぁ、こんなことをいえば親父に「何を軟弱」に「たかだが2年ぐらいの運動ぼっちゃん」がそんなことを言うのかい、とのお叱りを受けます(笑)※筆者により都合の良い脚色あり。

  2月5日深夜、チャンネルをひねったテレビは32都道府県で不服審査請求が475件にのぼっているとニュースで流れています。そこに住む障害者にとって、今この目の前で起こっている自治体の対応は恐怖です。住民の生命と財産を守ることを第一義的に、国より先立っての大きな仕事なのに、お金がないという理由に甘んじて生命を守ることさえなおざりにすれば、結果自治体のサービスは住民が決めるという本質を無視することになる。こうした過程が形骸化されれば、この人にはこういうセーフティネットのもとでの生活保障が必要だとの実をともなった話も、決してなされることはないだろう。そう思うからです。こちらが切り出さなければ配慮もされない事態に、恐怖します。

  地方自治体による政治は、2005年3月に政府・総務省がつくった「地方行革推進のための指針」にもとづいて95%の自治体が策定したといわれる、福祉と暮らしの切り捨て、業務の民間委託と民営化が着々と進んでいるそうです。みなさんご存知の郵政民営化はその象徴的なものです。効率性という観点からサービスの必要性を考えていくやり方にはまらなければいくら公共性が高くとも切り捨てられます。また地方に大企業を誘致して経済波及効果を狙おうとするもくろみがあります。もちろん京都と大阪が対決しているようなサミットの誘致、あるいはオリンピック誘致、はたまた最近話題になった神奈川県が日産自動車の本社・工場・研究所を誘致した一件でのお金は169億なんだそうです。さらに税金のムダ使いが明るみになっていますが、これもそうです。部落解放同盟に対する不正取り扱いの横行、職員による不祥事事件、東の彼方では知事による海外出張とは名ばかりの豪遊、親族に手厚く庶民に冷たい政治が都政私物化だと批判されてもいます。

  4つの病といいましょうか、それ以外にもあるのかもしれませんが、こういう分厚い壁があり、それに立ち向かおうと思えば恐怖もし、愚痴もたれるという、わたくしの心情を書きつらってまいりました。それではまた。