ひゅうまん京都 寄稿文2007年5月

手のひらに凶器ではなく希望に満ちた光を

岡田健司


4月21日午後。脊髄損傷の障害を持った女性が自宅からの出火により亡くなりました。紙面をお借りして、彼女のご冥福をお祈りしたいと思います。面識はありませんが、しかし、CILで当事者職員として自立生活をする仲間でありました。困難があったとしても、自分で一つひとつを克服されてきた生活だと思います。心より敬意を贈ります。

  夏の選挙を睨みつつ各党迎えたいっせい地方選挙。自治体の再編、合併と定数削減があったので、議員総数の中での議席占有率が前進したか後退したかが明暗を分けたそうです。その明暗がついたのかどうかは、よほど私よりご存知の方がおられるのでここでは触れません。しかし、その一票の持つ意味と価値についてはどの政党に関わらず議員の皆さんには想像を巡らして欲しいと思います。

  一票の持つ意味は地方政治が陥っている病を治すためのもの。前回の記事でも書きましたが、国の方針のもと福祉や暮らしの切り捨てが無批判に自治体で進んでいます。自治体の財源がないからという消極的な肯定はもう通りません。それを進めるための元凶も大型公共事業や大企業誘致にある現実、部落解放同盟に対する不正な取り扱いの横行や職員の不祥事事件で明るみになった税金のムダ使いの事実、政党政治を否定するつもりはないですが、有権者の要求は共通の基盤に向かって急速に動いているのだと理解しなければならないでしょう。もう一つ。みなさんは地方財政の借入金残高をご存知ですか。夕張市の財政破綻によって他の自治体の破綻が起きるかもしれないという話があります。これを議員から聞いたら疑ってかかるのが良いでしょう。たしかに厳しい地方財政です。小泉さんのときに地方交付税が3年間で5兆円減らされました。地方の借金は200兆円(07年度)であると政府も見通しています。しかし、その内訳は地方債(140兆)+公営企業債(27兆)+交付税借入金(33兆)ですが、地方債140兆のうち50兆は国の借金として返済されますし、交付税借入金はもともと国が借り入れた借金です。また公共事業のための借金も国が一定割合を保障するため、地方の予算規模90兆円あまりを考えてみると破綻が起きるという自体には直面していないのです。

  一票の持つ価値は政治が築かれていくためのもの。福祉や暮らしの切り捨てを守ろうが捨てようが、自治体が戦争に加担しようがしまいが、いずれにしても議席に腰を下ろせば討論から何かが生まれます。長崎市長選での再選を目指していた伊藤一長さんが暴力団幹部による襲撃に合い亡くなられました。過去に受けた市政の対応に不満を持ちそれが加害者の行為に繋がったとしても到底容認することはできません。短絡的で卑劣なテロ行為としか思えないからです。それは、暴力団社会のなかの秩序だとしても、さりとて、私たちは銃を持たないための学びを得てきました。その学びをてっとり早く取り払ったり、いつでも威嚇・威圧・萎縮させるための手段に取り替えたりすれば、結局はそうした秩序に合わせていく、現実にあわせていくことでしかないのです。私はそれを選びません。

  ダメな政治を盛り上げるために人の命を捨てていくのはもうごめんです。私が見たいのは、私が手に入れたいのは、手のひらに希望に満ちた光を宿す人々の姿です。