ひゅうまん京都 寄稿文2008年3月

ウララ・ウララ・ウラ・ウラで。

岡田健司


みなさん、こんにちは。だいぶ暖かな日がふえてきました。その陽気にさそわれて(関係あるなしや)携帯電話を新調したら充電器が別売りになっていることを知りました。僕のところだけでしょうか…?あぁそうか、たしかNHKのクローズアップ現代で携帯電話のある部品は希少価値の高い鉱石であると言ってたな、と思いだしましたけれども、充電器は関係あるのかと不満気です。さも、自立支援法のようなホテルコストの発想は施設だけでなく浸透していてるという訳でしょうか。

  最近の、僕のお仕事はピア・カウンセリングの講座をすることです。この講座は障害種別に関係なく参加できます。障害を持っている人同士が話を聞き合うということと、仲間をつくるということをとても大事にしています。最近、聴覚障害を持っている人との出会いがありました。必要なとき手話通訳の人を入れてやりますが、その人に情報がきちんと伝わっているかを把握する人、全体の進行をする人、サポートをする人という風に、2人の場合もありますが、そうした体制をつくって進めます。聴覚障害を持っている人に対しては講座中の話・休憩中の会話・その場の雰囲気などいろんな情報を伝えながら、その人に注目しています。しかし、一方的なことばかりではありません。コミュニケーションを取る方法は一つじゃないということを教えてくれます。手話を使いながら伝えようとする言葉は結局おなじ言葉ですから、ちょっとした想像を働かせながら聞くと以外に分かるものです。その人は地元で手話の時間を持っていて無料で教えてくれます。先日初めて参加してきたのですが、手話を使わず富士山・電車・お笑い芸人・スチュワーデスなどをジェスチャーで伝えることをしました。身体を使うので照れくさくても楽しいし、相手あってのことですからどうして伝えるかを思慮します。それは、そもそも手話の成り立ちに言葉を使わずにいた人が作ったイメージ手話と、言葉を使っていた人が作った言語手話の二つがあることを教えるためにしたことなのでした。おそらくこれまでにも障害種別の異なる人との繋がりはあって近づくための方法を見つけてきたつもりですが、それは一端自分なりのフィルターを通してでしかなかった気もしています。口語による言葉が絶対的な社会では、聴覚障害を持っている人と繋がろうとするなら、僕から近づいていく方法を見つけなければならないと感じています。それが僕にとっては手話であると発見させてくれ、教えてくれもしたのが聴覚障害を持っているその人本人なのでした。

  さて、新しく立ち上げる団体のお話はしていますが、ちゃくちゃくと準備の方はできてきました。理念をつくったり、規約をつくったり、就業規程とか雇用契約書、面接質問書などなど…。僕のパートナーは事務のできる事務局長(彼は読んでないけどホメる!)。なので「こうしたい・ああしたい」と言うだけ言って、後をまとめてくれるすごく頼もしい人です。名刺をたずさえて、読者の方にお渡しできる日が来ればいいなと思いつつ、今年の春を迎えようとしています。

それでは。