ひゅうまん京都 寄稿文2008年4月
緊張が緊張をよぶ空港だった。人生初の搭乗と人生初の宮崎県入り。たかだか、国内を移動するだけなのに、やはり多くの人が行き交う玄関口なのだ、そこは厳戒である。とりわけ日本航空の人たちが車いすのバッテリーに注意を払っている。バッテリーが液体の場合、機体に穴があくそうだ。私のものはたしか液体ではないような気がするが、なぜか知らなくさせられる気がしてきて、液体が漏れる、機体に穴が開く、航空事故、大惨事、と連想をし、気が滅入ってきた。それでも、あの本を読んだ人なら航空神話はそうないと知っている。私はそうで、激しい航空業務でも整備士の削減とか、あるいは乗務員の待遇の悪さとか、次から次へと聞き入った情報で、いま起こっている目の前の情報を処理しようとする。搭乗ゲートから飛行機の後部座席へ移動する際も、多くの人たちが手間をかけた仕事を分担していて、まるで護送船団なので、政治の世界で使用された言葉とだけ思い出して、それはいつのことだったろう、と曖昧な記憶を反芻したがそれまでだった。
富士山より倍の高さを飛ぶこと自体想像を超えているのだけど、一番の心配は気圧の変化で呼吸が苦しくならないか、ということだった。さいわい大事にいたらず、しかしたしかに湯船に入ったときの水圧のような感じはあり、血流の流れが飛び立つ際に多少動く。上空は目を疑うばかりに、山や海や町がジオラマになっていく。模型のものは相当手の込んだものだとあらためて感心し、一面雲の世界が現れたときは天国はこんなものかと思ったが、さらに輪をかけて地に足がつかない雲の上は死んでも怖い、と際限ない観念世界への旅へといざなう。しかし、やはり地球は丸いということと、まだまだ知らない世界があるのだということ、こんな世界で仕事をする人はすごいと思ってしまった。
さて、いま私はとあるネットワークに参加・組織をしていて、9月あたりにシンポジウムをしようと思っています。そのネットワークとは「着床前診断に反対する」を合言葉に、神経筋疾患に障害をもつ仲間がメンバーになっています。シンポジウムでは、着床前診断の問題を伝えること、(診断が許される)障害を持っていても生き生きと楽しい自立生活を送っている人がいることを伝える、のが目的です。このことについて知っている人も、知らない人も、この問題(私たちはそう思う)について考え、すべての人が幸せに暮らせる可能性をさぐることが大事だと思っています。着床前診断は、産婦人科学会が国民的合意のない形での取り決めを行い、また一部の医師による実施が先行しています。科学技術の発展や医療の進歩を前にして、いかなる人間観にたった専門家が必要なのかも考えられなければなりません。あらゆる分野の人たちの参加を期待しています。
詳細はまたお知らせします。