ひゅうまん京都 寄稿文2008年7月
先月は急遽、執筆のお休みをいただきました。あやうく今月もお休みをさせてもらいそうになりながら、勇気を振り絞って印刷3、4時間前にこれを書いています。
先日東京での研修を受けてきました。この研修は、自立生活センターではたらく新人・中堅クラスの人たちに用意されたもので、私たち団体も新人介助者5名とともに参加をした3泊4日でした。研修の目的は、自立生活センターの目的や役割、各事業の意義をまなぶ機会であり、確認をする場です。私たちもその意識を持ちつつ、全国の仲間が一堂に会する好機だったため、新人介助者をその場に連れて行くこと自体に大きな意味があったように思います。
自立生活センターが目指すものは、障害者一人ひとりのエンパワーメント(力強くなっていくこと)をサポートすることです。力強くなるとは、自己信頼を回復していくこと(自分を尊重し)、人間関係を再構築すること(他人のことも尊重し)、社会変革をすること(よりよい生活を作る)、そういった過程でそれは進んでいくと思っています。
研修の場面で、確かに正しい真実が語られます。その問題点を洗い出し、解決を迫ります。介助場面でのトラブル事例では障害者側、介助者側双方に対してです。しかし、その正しい真実が語られるときある思いが沸きます。真実をそのままに、その人のためにならない正しい真実を語ることにどれほどの意味があるのだろうか。もしかしてこの人たちは、私たちの今ここにある事実を信頼していないのではないか。
たとえば、介助場面で、気持のコントロールがうまくいかず、介助者に怒鳴りちらす障害者がいたとします。それが言葉による虐待で、それを理由に介助者が何人も辞めていきます。その人に向って問題の解決を迫るのはエンパワーメントにならず、しかも尚且つそれを一番よく知っているのは障害者自身です。私が大事にしたいのは、それでもよくやってきたということを伝えること。何人も辞めた介助者がいたとしても、よく生き延びてきたということを伝えたいのです。介助者には、言葉による虐待はあなたに向けられたものではないこと。その言葉を受けてきた障害者が、傷ついた心のままに社会を捉えているに過ぎないということです。だから一緒に傷つく必要はないけれども、傷ついたならばそのままにせず、事業所で働くならならば、そこの現場責任者に気持ちを語る機会を作ってもらうことが必要だと思います。
こうしたことを知っている介助者が育つならば、社会は変えられます。私たちの団体はそれを目指しています。より私たちの団体をお知りになりたい方はHPにアクセスしてください。