ひゅうまん京都 寄稿文2016年2月

岡田健司


  私たちの団体、介助派遣事業所における介助心得の6つ目は「障害者の気持ちを保障するのも大切な仕事」である、ということです。

  ご存知のように、人と人とが関係性を築くうえではコミュニケーションを図りつつ人となり知っていくということは欠かせませんが、しかし当然のように、他人には聞かれたくないことや話したくないこともあり、日ごと時間ごとに気持ちのバランスも変化しますのでコミュニケーションは理解するきっかけということではあっても全てではないと考えていたりします。

  本来的にいえば、介助というのは日常生活行為をおこなう以上でも以下でもない程度にコミュニケーションがされさえすれば、おおよそ気持ちの理解は進むのではないかと思ったりもするのですが、おそらく多くの現場で起こり続けているさまざまな要因で困難になっていることがあるかも知れません。

  たとえば一つに、居宅サービスのうち家事・身体を利用する場合日常生活行為を介助するために必要なコミュニケーションを図る時間がないことがある。たとえば二つに、人間関係の希薄さがそもそも存在しているがために介助関係が唯一の人間関係ということがある。後者の点に関していえば、障害者の地域社会におけるコミュニティ探しは困難さが多いことに思い当たります。その原因は他のものと等しく教育を受ける機会が乏しい、合理的な配慮を得て就労する機会がないこと等々が挙げられます。こうした生活様式に休息・余暇・遊び・文化的・芸術的・学問的な探究心は直結しています。一方、介助者も過密労働によりこれまでの人間関係に希薄さが影を落とし始め、コミュニティ離れが加速していきます。

  たとえば一つの居宅サービスの家事・身体ではコミュニケーションをとる時間の確保が難しいのは、居宅サービスの家事・身体の利用時間は細切れで時間に集中して行為を進めていかないと「できなかった」ことが溜まっていきます。介助者もやってあげたい気持ちを持っていますからできなかったことが溜まると「良いサービスではなかった」となることもあろうかと思います。この思いが行き過ぎてしまうと介助行為は作業化してしまい、作業で心の充足を満たせないという閉塞感を生んでしまう場合があります。

  たとえば二つの人間関係が希薄さゆえに介助関係が唯一の人間関係になりがちになると、障害者にとってみれば人間関係の砦は介助者との結びつきであり、それが転じて心情的に友人知人となることもあって関係性の倒錯が起こりやすい状態は常にあります。また介助者は四六時中仕事漬けでオンとオフがあるようでないためリフレッシュできず、関係性を正しく捉えたり距離感を軌道修正したりそのための報告連絡相談ができないまま、バーンアウトするようなことが起こりやすくなるのも否めません。関係性が良好であれば問題は浅く済むけれど不全になると問題が複雑化し収拾がつかず配置転換させられることもままあります。

  「障害者の気持ちを保障するのも大切な仕事ではある」のだけど、介助というのは「日常生活行為をおこなう以上でも以下でもない程度にコミュニケーションがされ」さえすれば気持ちの理解は進むのではないか?という話だったのですが、そのうえで、介助現場での適切なコミュニケーションを阻害してしまう原因と背景も考えてみました。その過程で思考は期せずして、この社会にとっては介助関係の結びつきが新たなコミュニティの誕生であっただろうことに思い至ります。あえて言うとすれば、新たなコミュニティで交わされるコミュ二ケーションでその原因と背景を取り除くことが分かち合われ、このコミュニティがまさに人が大切にされる社会の試金石となっていることを伝えたいと思います。