カルチュラルタイフーン in Kyoto2005年7月2日  立命館大学

「障害者自立支援法、何が問題か」

岡田健司


  1. これまでの動き

  昨年10月12日、厚生労働省が発表した「今後の障害保健福祉施策について」−改革のグランドデザイン(案)−は、利用者の増加によってひっ迫したお金を減らしていくために、サービスを自己負担にすればその分だけ使いすぎが減る、それを審査すれば使いすぎをなくせる、うまく公平性も保てると言える、と、それを受けた障害者自立支援法にこのことを書きました。このようなことが昨年からずっと続いていますが、まず知っていてもらいたいのは、そもそも介護保険が導入されたあの当時からこんなことが起こるのは分かっていたし、それを先延ばしにしてきたのは当のお役人であるということなんです。

  では、どのような動きだったか。2000年「介護保険」が導入されるとき、全ての国民が利用できるを前提にした保険料徴収による福祉サービスのあり方は、雇用主負担を強いられる財界の猛反発を受け断念していますし、2003年「支援費制度」が実施される直前「上限問題」が言われました。つまり、支援費は誰がどれだけ使うかという基準がないから、サービス供給の「上限」を設定したものです。しかしこれも反対によって実現しなかった。だからこそ「支援費と介護保険」の統合です。これが2004年。保険料徴収年齢を40歳から0歳に引き下げ、サービス利用を65歳から20歳とする、介護保険に支援費を入れて、介護保険を維持しながら支援費の予算の増大を抑えようとする意図、言い換えればお金の問題ですが、それがこれまでの動きでした。

  この統合問題に関して、障害者側からの主張は、いまの介護保険は必要な介助が得られるサービスじゃない、ということであり、在宅で3時間そこそこのサービスに上乗せして必要なサービスを得ればいいじゃないか、というならばどのようなものなのかを明らかにしなさいということでした。重度障害者・包括が一応の答えかとは思うのですが、後で述べます。これがまず第一点。私たちは毎日の生活を送るために他人の手を借りなければ生活できないわけで、ごはんを食べる、トイレに行く、風呂に入る、布団に寝る、こういったことは手足が動かないのだからすることができない。それを他人の手足を使ってやる、そういうことなんです。これは障害者だけではなくて高齢者も同じようにそうなわけですが、人並みの生活をするにあたり必要な介助は個人的な利益にあたるのですか、というサービスそのものに対してのある種原則的なことも言ってきました。それが第2点です。そしてこれまでの動きがお金の問題だといいました。無い無いと言われれば説明になっているかのような錯覚にこちらもなりますが、それをどういう風にお金がないのかを言ってくださいと求めました。全国どこに住んでいたって、大体障害に応じて必要な介助が得られる、それは当然のことなんですよね。お金が無いという主張はそれをうやむやにしてきたんです。そんな都合のいい話の一つが地方分権で、福祉サービスの担い手が地方に移って、地方を水準とした、てんでばらばらなサービスであってよいわけはないのですが、それがどうもなされようとしてた。これが第3点。他人の手足を使うことにはお金がかかります。人並みの生活が30万であれば、障害者が生活するのに介助費用だけで30万いるなんておかしいじゃないかと言われる。別に贅沢をしているわけじゃなくて、同じ生活をするのにたまたまお金が余計にいるんであって、別に上限が無いわけじゃなくて、あなたたちと同じように24時間という時間のなかで必要な量だけの介助を得ているわけです。「使いすぎ」や「不公平」を見直すのはお金を減らすということじゃなくて、ちゃんとした基準を示すことによって可能なのだと言うこともいってきました。これが第4点です。

  こういったことを繰り返し述べてきた昨年末でした。それとは違った利害関係を持つ人たちの声もあって統合問題は見送りになったんですが、しかし今国会で審議されている障害者自立支援法は2009年度をめどに支援費を介護保険にすりかえるようセットされています。

  2. 議論・経過

  4月27日、障害者自立支援法の審議が衆議院で始まりました。これまでの審議で明らかになったことを2点お話します。

  厚労省は社会保障審議会で、有識者のみならず障害者団体を招いてグランドデザイン(案)についての議論をしてきましたが、そのスケジュールの短さからいって十分にされたとは言えないのです。公開されていたとはいえ、そのグランドデザイン(案)をつめていく作業をするはずの審議会が厚労省の一方的な説明の場であり、審議会メンバーの意見は法案に反映されていないといっても言い過ぎではありません。衆議院での厚労省の答弁は「支援費の予算不足の現状から1日も早く新しい制度を施行したい」のみで、これは厚労省側に理由があって、それは当事者不在のまま制度設計が行われており、十分な審議もなされていないことを意味します。

  ある法律を実際に運用しようとなると政省令に委任することが多いです。審議でもあまりに政省令事項が多く、制度の中身がまったく見えないものとなっています。これからどのようになるのか分からないまま、関係者の議論だけをやらせるというのは、すごく傲慢に感じますが。傲慢なんですね。厚労省は「政省令事項についても委員会で、できる限り丁寧な議論をしてもらい意見を踏まえつくっていく、できるだけ努力します」と答弁して、後日「政省令事項について」という資料を出しましたが、それは政省令の大まかな方向性だけでした。そういう厚労省の体質は、定率負担でいくとなれば、障害者の所得がどうなっているのか、どのような生活になるのかということは、ふたを開けてみれば分かるということに繋がります。重度障害者が1日3時間の介助で生命を落とすなんてことは難しいことじゃないんですね。

  大体がこういう事態であろうと思います。

  3. 問題

  では、次にいきます。ここでは、私たちが特に問題だと思う点を4つにわたってお話します。

  1つ目は、移動介護・行動援護についてです。支援費制度では、一番サービス利用が増えた部分で、とりわけ知的障害を持つ人の場合、それ以前では親や兄弟の所得に応じて自己負担額が決まっていたのですが、この制度では扶養義務者から外れた、つまり親と同居している知的障害を持つ人であっても自己負担なく利用することが可能になったのです。

  自立支援法での移動介護は3つに分類されます。まず、重度訪問介護・行動援護・移動支援事業。重度訪問介護は日常生活支援に移動介護を加えようとするものです。名前のとおり重度の要介護状態で、かつ四肢マヒのある身体障害者が利用します。行動援護は自閉症やてんかん等がある重度の知的障害者。統合失調症等がある重度の精神障害者が利用します。移動支援事業はそれ以外の障害者が利用することになります。

  ここで問題だというのは、まず国庫補助のあり方がサービスによって異なるということ。重度訪問介護・行動援護は義務的経費であり、個別給付です。義務的経費は「国は補助しなければならない」というもので、財源が不足すれば補正予算などで補填しなければなりません。移動支援事業は裁量的経費であり「国は補助することができる」にすぎないという、財源の不足に補填は原則つきません。義務的経費の上限というカラクリがあるじゃないかという指摘も頂きながら、話を進めますと、支援費制度で利用していた多くの障害者の移動介助が削減されることになります。移動支援事業は市町村がサービス実施を決めますから、そもそも財源がなければ止めます。

  また、知的障害を持つ人の自己負担は世帯収入を合算して決めますから、親や兄弟の世話なくして移動はできないということ。外出するにあたり必要な介助、荷物を持つ、歩く、切符を買うといったことにお金を払わなければならないこと自体、おかしなことだといっていいと思いますが、外に出たいという気持ちを親や兄弟の収入によって制約していくことは、家族に障害者問題を偏在させます。

  2つ目は、重度障害者・包括についてです。支給決定の過程は、つまり介助量のことですが、市町村が100項目の要介護基準シートによってコンピューター判定した後、審査会が区分された障害程度によって審査します。そのうち、支援費制度で障害程度と介助の量によって重度と規定されていた人は個別審査を受けることになり、それは二次判定における「非定型の審査」といわれます。二次判定はすべての障害者が対象なんですが、重度障害者は「市町村が必要と認めた場合」に限られます。

  居宅介護を利用したい人は二次判定を受けますから、重度障害者のみ市町村が必要と認めた場合に二次判定を受けるというのは一体なぜかということが、まず問題なんです。先ほどの、義務的経費の上限はここに絡んできます。市内に在住する障害者を障害程度ごとに区分していきますが、それぞれの区分ごとに標準的な費用額があらかじめ決まっていて、その区分を合計した金額のみしか国は負担しないのです。つまり、それ以外は市町村の単費でまかなわれますから、長時間介助を必要とする障害者にサービスを使わせたくない。市町村はそう考えます。そういう仕組みを国が作るんですから、どこを見て地方自治の時代だといっているのかと疑いたくなります。

  もうひとつ、ALSなどきわめて重度の障害者に対しては1ヶ月介助に必要な費用が包括して支払われます。これは、決まった単価を設定しないことによって長時間介助を実現させます。24時間介助を利用するには200万円を超えますが、意図したことは、安い賃金で介助しますかというメッセージと、十分な介助が必要ならわがままは止めなさいというメッセージを天秤にかけたかったのでしょう。即生命に関することがシーソーゲームにさらされています。

  3つ目は、グループホーム・ケアホームについてです。中軽度障害者はグループホーム、重度障害者はケアホームというように障害程度別に住まいが異なります。だいたいホームの定員は4〜5名ですが、現行制度より規模が大きくなるといわれています。問題は、障害程度の違いによって引越しの強要が行われる可能性ありという点。ホームを利用する方が必要なサービスが得られるというのが目的であるらしく、そうであれば住み慣れたところ、気のあう仲間がいたとしても、引越さなければならない。また、グループホームでの介助は受けられないらしく個人的に外出するなどということはできなくなります。大規模なホームに、職員のみにしか支援が得られない生活というのは施設です。そのホームで必要なサービスが得られればいいだけの話ですから、いまも得られていないということが明らかになっただけで、必要なサービスが得やすくなるということはウソだと思いつきます。

  4つ目は、自立支援医療・通院公費負担についてです。 障害にかかる医療は、精神障害者の通院治療に関する医療(精神通院公費)、18歳以上の身体障害者に対する更正医療、18歳未満の障害児等に対する育成医療がありますが、これらは統合されて自立支援医療となります。前者は5%の定率負担から1割負担に引き上げられ、後2者は1割負担になります。例えば、人工透析を受ける人であれば、更正医療の対象として所得に応じた負担、大体1万円以下だと聞いていますが、それが月額1万に加えて入院時に治療食も負担しなければならなくなります。毎日欠かさず医療費を払い続けなければならない障害者にとって負担の限界は、医療の利用抑制・治療服薬の中断へと繋がり、ひいてはのたれ死ぬか自殺へと行き着きます。

  ここで述べますが、施設入所の人は年金などから施設利用料を自己負担をしていますが、これに加えて食費・料理費・人件費も負担しなければならなくなります。あわせてしまえば負担額は年金1級であっても超えます。それはあまりにひどいだろうということで、入所者に補足給付がされていきます。大体2万円ほど。「まあ、これで施設生活をエンジョイしてください」ということだろうけれども、しかし、入りたくてそこにいるひとは一人もいないというしかないです。以前に比べれば、無下に人格を否定しない管理と規制は生きる力をゆるやかに奪っているということを知るべきです。それを助長するのですから問題です。

  4. 今後

さて、最後になりますが。

  政権与党はこのままで法案を通す覚悟です。民主党は部分修正/抜本修正/廃案が錯綜しておりましたが、都議選を前に修正協議案なるものを作成し定率負担凍結などど書きました。しかし、都議選2〜3日前に水面下で行われていた自民党との修正協議をみごと蹴って、都議選対策にしようと考えました。与党は障害者に冷たい政治をしているというポーズですね。つまり、障害者をだしにとって、議会の座に着こうという魂胆です。この修正協議によって先ほど話していた問題は少なくとも悪くならないよう、私たちが働きかけられると考えていたものですから怒りを覚えます。共産党・社民党は廃案です。

  都議選まで、衆議院での委員会はストップしていて開かれていませんでした。問題山積みであることが審議の中で明らかになった結果ですが、しかし、自立支援法を都議選対策用に考えていなかった与党は選挙終わらずして審議再開・粛々採決しようとしています。衆議院での採決として可能性が高いのは8日または13日です。

  私たちは、これまで「私たち抜きに、私たちに関することを決めないで」と言い続けており、また国会での継続審議、慎重審議を望んでいます。確かに、継続審議となれば原案のまま採決される可能性が高くなりますが、廃案にすべきだと言い切らない部分があります。原案に潜む問題が明らかにされないままの採決と、廃案は同じだと見るからです。あくまでもその策定過程に当事者の声を反映させること、当事者が加わることが大事だと考えます。


終わります。



開催要項(外部リンク)

※研究会・シンポジウム報告の項参照