講演記録2006年10月1日  京都アスニー

「払いきれない負担」

岡田健司


  みなさん、こんにちは。

  ご紹介いただきました岡田です。これから15分ばかりお話させていただきます。あまり時間がありませんが、お話しきれないところ、考えが及ばないところなどは午後の分科会にお譲りすることにして以下3点にわたって述べさせていただきます。

  このシンポジウムを開催するにあたり、応益負担に反対する実行委員会では、京都府下在住の障害を持った人を対象に、自立支援法アンケート調査を行いました。お手元の資料のなかに綴じられていると思います。したがって、このアンケートに答えてくれた人の声を集め、並べ、私自身考えたこと、考えられることについてのお話になります。


  まず、自立支援法の一部実施により生活がどうなってきたかについて。

■どうなってきた、か。

・少しでも貯金しようと思っていますがなかなかできません。

・生活が苦しくなった。家賃とか支払うお金が多くなった。

・以前と同じように美容院へ行けなくなりました。

・親は少ない年金生活です。障害者の年金も生活費のたしにしなくてはならない。今、あまりにもぎりぎりの生活になっています。

・自己負担が発生してから生活に余裕がなくなった。

・家庭を持って子どももいるので、教育費もかさみ、自分のために使えるお金がなくなりました。

・生活費以外の出費がある。作業所に働きに行くのにお金を払って行く。

・通所のときの交通費が応益負担でさらに負担が多くなりました。

・授産所、作業所などでやっと働き得た給料で(一般から見ればほんのささやかな金額)から支払う一部負担は大変な重荷です。

・交通費、給食費、負担金など月5000円の工賃ではとてもやっていけない。

・弁当代を払らわなんでいやだ。

・お弁当代がこまる。もっと給料がほしい。

・毎月もらって帰る給料より毎月の負担の方が大きくなっているので生活に支障がおきる。

・施設職員も施設で食事しなくなった。カップラーメンを食べている。

・給料をもらっても応益負担でお金を払わなければならなくなったから家族の負担になってて困ってる。それにサービスが良くなったとは思わない。むしろ不自由になったと思う。

・お金が減って心細くなった。

・通勤、通院に負担金が生じる。それにより毎月の収入が減る。

・応益負担で趣味や遊びに使うお金が少なくなった。その分生活費に回している。

・これまではプールにも行きたいだけ行っていたが時間を気にするようになった。なるべく外にでないようにしている。

・いまでもかなり我慢しているが、食事や趣味の事に使っていない。お金をかけずに楽しいことをしたりテレビを見ないようにしている。電気代を節約したり行く回数をへらす。

・節約のためタバコの本数を減らしているつもりです。

  ないところから取っていくということが、障害者の日常生活に我慢を、労働条件に限界を、家族関係に苦境を、社会参加に抑制を強いることになっています。


では、自立支援法の成立により障害者の生活をどうしようとしたかについて。

■どうしようとした、か。

@働ける社会?

一般就労へ移行することを目的とした事業を創設するなど、働く意欲と能力のある障害者が企業等で働ける支援をねらいました。実際はどうか。

・作業所に通うだけで負担金がいるというのは、年金だけで生活している人にとっては大きな問題で、絶対に許せないと思います。

・仕事をするのになぜお金を払ってまでしなくてはいけないのですか?給料確保が先ではないでしょうか。

・作業所で働いて給料もらうのに、利用料を取られるのはおかしい。

・人間としてあたりまえに生きていく権利をも取り上げられお金を払って働く。そんなバカな話はまったく話にならない。

・自立しなさいと言うなら国が企業などにたいして厳しく雇い入れを義務づけて自立支援できるお金を得るようにすることが本当の自立支援というのではないだろうか。

・できればまず働き口を見つけてくれて、それで払うならまだよいが、なんでとるだけなのか。それはおかしい。

・作業所などの収入をもっと増やすとか、一般企業での受け入れをしっかりするとかを自立支援法の中で考えてほしい。

・はたらけるところをつくってほしい。

・自立しようと思っても働く場所がありません。

・障害を持ってなければ当たり前のことをするのにお金がかかるということで止めることを選ばなければいけないことが苦しい。

・家庭の事情によって負担金が生じたことにより作業所を止めざるを得ないなんて、本当にどうなってしまったのだろうと思います。

・応益負担により、作業所等の利用を断念せざるを得ないことは残念だと思います。


  利用料でもって働く意欲と能力を図るという不正が、働きたくても働けない現実の不正を突きつける結果となり、そのねらいの問題が顕在化しています。


A公平なサービス?

  公平にサービス利用をできる仕組みを作り安心して地域で住めることをねらいとしました。実際はどうか。

・地域によって使えるサービスに不公平がある。

・人としての生きる権利に負担額を強いて、上限をつけるのはもっと許せない。


  ご存知のように、地方自治体が自己負担の軽減策を示した例を見ると良く分かると思います。9月25日付朝日新聞朝刊では、なんらかの負担を軽減した自治体が4割にのぼる一方、6割の自治体が軽減策を取らず、あるいはとれずに、障害者に苦渋を強いる結果になっていることが明らかになりました。まさに「住む地域によって障害者本人の負担が異なる地域格差」が広がっているのです。いわゆる格差社会の最も足るものだと指摘できますから、どこにいっても、同じサービスが、同じように受けられるという公平なサービスはそのねらいと大きくかけ離れています。


Bみんなで支える福祉サービス?

増大する福祉サービスの費用を抑え制度の持続をねらいとしました。実際はどうか。

・応益負担するなら、それに見合った所得保障が必要。

・就労支援や所得保障があってから初めて自己負担が導入されるべきである。

・障害者自身も負担していくことを今の財政を考えるといたしかたないが、年金収入のみの人からの金額がやはり高すぎる。

・自己負担を支払ってでも生活できる年金(所得保障)をすべきです。

・この法律は自立を応援するのではなく、ただ障害者の収入を取り上げているように思えます。

・親からの援助がなくても生活できるだけの収入があれば自己負担金は払います。


  制度を持続(給付の抑制)するために自己負担しましょう。しかし年金のなかから支払うことには無理がありますよ。というある種同意せざるを得ないとする人もいます。もっとも、この国の福祉が「人間らしく生きる権利を保障するもの」であるからこそ障害者であろうが、健常者であろうがみんなで支える福祉サービスになります。しかし、いまのこの国の考え方は、社会保障費を含む歳出の削減を徹底してやっていくものです。それを続けていくと国民はもう苦しい、何でもいいから助けてくれ、となる。だから消費税の増税だってかまいません、という風にいわせたい。そういう事態を予期して社会保障のあり方、この国の制度設計をしているのです。私たちが支えたい福祉サービスはこれのことでしょうか。


■どうもなっていない、が、どうすべきか。

  自立支援法が成立するときから懸念されてきたことがありました。所得がない。働き口がない。住むところによってサービス格差が広がる。いずれにしても、こうした問題はここ何年間かの障害者福祉が取り組んできた、取り組もうとしていた課題となんら変わるところがないといえます。どうもなっていないのでどうも問題になっている。だからこそ、どうすべきかについて考えることができるのだと思っています。

  応益負担をなくしてほしい。応益負担をやめてほしい。ということにはおかしいといえません。ないところから取るということについて正しいとはいえないからです。そもそも「障害者は障害があるために、働けず収入を得ることができないので、健康で文化的な生活を送るために年金が支給され(※アンケートより抜粋)」るのだから、働いた分以上を取りあげて実質的な所得保障としての分をださせること自体に、制度として維持してきた理念がそうでもないということを示したのではないでしょうか。だから、お金をくれ、仕事をくれというのはもっともな要求です。あたりまえの暮らしができない。暮らせるだけのお金がない。これは障害分野だけの問題ではなくて、この社会全体に広がっている問題ですが、障害分野のこの問題は応益負担の導入によって格差社会の縮図を示す結果になったというべきだと思います。ではどうすべきかについて。

  まず、どのようにあっても人が暮らせるようにするための所得保障をすること。はたらこうがそうでなかろうが暮らせるだけのお金を得られるようにすること。年金や生活保護もその一つですが、それがそうなっていません。その支給の水準が最低限より良くなったとしても、働く人の動機を保つために傾斜をつけるざるを得ないとすればそれにとどまります。もっとも、より多く働いた人、より多く持っている人から税の徴収(累進税率)をすること自体それをさまたげる理由はないのですから、そうすべきだということになると思います。

  もう一つ、格差を小さくしていくことです。あるところから持ってくるというのが基本ですが、受け取りの低い人の賃金を上げるために、受け取りの多い人の賃金から持ってくる。受け取りの低い人の調整だけでは働いた分以上を取り上げて所得保障としての分に割り込む問題が起こるのですから、結局は多くを受け取っている人も含めて調整することです。例えばそれは所得の分配だけではなくて労働の分配も含めた方が良いのだろうと思います。就職の機会は働ける環境にないという条件だけでなく、働けている人に独占されているという条件もあるので、所得を得るために就労を要求するのは不当になりますが、所得の分配のための税の徴収と給付を容易にすることにはなります。

  ちょっとややこしい話になりますが、応益負担の導入は制度の足りないところを明らかにさせた結果、福祉制度という枠だけで無理やり押し込められ調整されていた問題を、この社会全体の制度の中で調整され捉えなおせる問題であることを明らかにさせたと思います。だからこそ、給付の抑制と給付の査定のために自己負担を求めていくことは間違っています。


  ありがとうございました。