社会福祉協議会講演記録2006年12月8日
報告
みなさん。初めまして。ご紹介いただきました岡田です。
あまり時間がないので、どうしても手短になりますが3点にわたってお話したいと思います。ここに報告者のみなさんからお話されることが事実であり、4月からの一部負担の実施はサービス利用の手控を起こし、断念させ、施設にいる人にとっては退所を余儀なくされ、施設の運営自体も困難になってきたということです。もう少し言えば、サービス利用の手控えや断念は生きるための手控えや断念に繋がっているということでもありますが、みなさんはご存知でしょうか。
1. 私たちのもとには、自己負担の一部実施により障害者本人の生活がこうなった、という声が集 まります。例をあげて見ましょう。
・自己負担が発生してから生活に余裕がなくなった。
・生活費以外の出費がある。作業所に働きに行くのにお金を払って行く。
・通勤、通院に負担金が生じる。それにより毎月の収入が減る。
・いまでもかなり我慢しているが、食事や趣味の事に使っていない。お金をかけずに楽しいことをしたりテレビを見ないようにしている。電気代を節約したりしている。
私たちは毎日の生活を送るために他人の手を借りなければ生活できない訳で、ごはんを食べる、トイレに行く、風呂に入る、布団に寝る、こういったことは手足が動かないのだからすることができません。それを他人の手足を使ってやりますが、よくよく理解していてもらいたいのは、何も怠けているからではなくて、贅沢しているからでもなくて、人が人として生きていくための手段としてサービスを使っています。あえてここでいう必要もないと思いますが、障害者が生きていて良いと言えない社会ではないと理解していますが、こうした自体は単なるサービスの利用ができないにとどまらず、それは人として生きる術を奪うものであると言えるのではないでしょうか。
2. では、こうした実態は自立支援法が意図したことでしょうか。その法律の理念として明記されていたのでしょうか。まず、「働く社会」を目指します、そう書いてあります。一般就労へ移行することを目的とした事業を創設するなど、働く意欲と能力のある障害者が企業等で働ける支援をねらいました。しかし、障害者本人はこう言います。
・作業所に通うだけで負担金がいるというのは、年金だけで生活している人にとっては大きな問題で、絶対に許せないと思います。
・仕事をするのになぜお金を払ってまでしなくてはいけないのですか?給料確保が先ではないでしょうか。
・作業所で働いて給料もらうのに、利用料を取られるのはおかしい。
・人間としてあたりまえに生きていく権利をも取り上げられお金を払って働く。そんなバカな話はまったく話にならない。
・障害を持ってなければ当たり前のことをするのにお金がかかるということで止めることを選ばなければいけないことが苦しい。
・自立しなさいと言うなら国が企業などにたいして厳しく雇い入れを義務づけて自立支援できるお金を得るようにすることが本当の自立支援というのではないだろうか。
・できればまず働き口を見つけてくれて、それで払うならまだよいが、なんでとるだけなのか。それはおかしい。
・自立しようと思っても働く場所がありません。
利用料でもって働く意欲と能力を図るという不正が、働きたくても働けない現実の不正を突きつける結果となり、そのねらいの問題が顕在化しています。また、「公平なサービス」を目指します、そう書いてもあります。公平にサービス利用をできる仕組みを作り安心して地域で住めることをねらいとしました。しかし存知のように、地方自治体が自己負担の軽減策を示した例を見ると良く分かると思います。9月25日付朝日新聞朝刊では、なんらかの負担を軽減した自治体が4割にのぼる一方、6割の自治体が軽減策を取らず、あるいはとれずに、障害者に苦渋を強いる結果になっていることが明らかになりました。まさに「住む地域によって障害者本人の負担が異なる地域格差」が広がっているのです。いわゆる格差社会の最も足るものだと指摘できますから、どこにいっても、同じサービスが、同じように受けられるという公平なサービスはそのねらいと大きくかけ離れています。
さらに、みんなで支える福祉サービスを目指します、そう書いてあります。増大する福祉サービスの費用を抑え制度の持続をねらいとしましたが、しかし障害者本人はこう言います。
・この法律は自立を応援するのではなく、ただ障害者の収入を取り上げているように思えます。
・親からの援助がなくても生活できるだけの収入があれば自己負担金は払います。
制度を持続(給付の抑制)するために自己負担しましょう。しかし年金のなかから支払うことには無理がありますよ。というある種同意せざるを得ないとする人もいます。もっとも、この国の福祉が「人間らしく生きる権利を保障するもの」であるからこそ障害者であろうが、健常者であろうがみんなで支える福祉サービスになります。しかし、いまのこの国の考え方は、社会保障費を含む歳出の削減を徹底してやっていくものです。それを続けていくと国民はもう苦しい、何でもいいから助けてくれ、となる。だから消費税の増税だってかまいません、という風にいわせたい。そういう事態を予期して社会保障のあり方、この国の制度設計をしているのです。私たちが支えたい福祉サービスはこれのことでしょうか。
3. 自立支援法が成立するときから懸念されてきたことがありました。所得がない。働き口がない。住むところによってサービス格差が広がる。いずれにしても、こうした問題はここ何年間かの障害者福祉が取り組んできた、取り組もうとしていた課題となんら変わるところがないといえます。どうもなっていないのでどうも問題になっている。だからこそ、どうすべきかについて考えることができるのだと思っています。先日、政府・与党は応益負担による障害者本人の負担をさらに軽減するため、また月額払いから日額払いにかわった施設の収入補填のための補正予算を組むことを決めました。また、障害程度区分の見直しを進めてもいるそうです。実態に合わない基準は全国での調査で分かっていることですが、当面介護保険との統合を目指してきた方向性とは違う形で修正を迫られる形となったこと自体、障害者自立支援法の制度設計の根拠が危うくなってもいます。
地方自治体のよる自立支援法の意見書が再び相次いでいます。三重県議会、長野県議会、そして京都府/市議会による充実と改善を求める内容です。これまでに何らかの軽減策をした、あるいは検討してきた自治体からの要望書です。そこに示されたものは、軽減策をしてもなおサービス利用が制限される、利用の手控えが起こる、法の理念である地域生活支援が実現できない、といった現実に即応したものです。つまり、今でも軽減策を実施するのはきつい自治体が、これから続けていくことの困難さ、取り組むことの財政的な危うさを吐露したものである、そういう見方もできます。全国の自治体は1400ほどそのうち800ほどの意見書がすでに出ているという動きですから、国としても軽視できないと思います。
最後になりますが、あくまでもこうした事態は障害者分野だけの問題であると理解されない方が良いと思います。先ほど述べましたとおり、人が人として生きるための権利自体の剥奪であるからです。それは、介護保険における高齢者の問題、生活保護の問題、住民税の値上げによる悲鳴はとどまることがなくて、結局は人が大切にされていないことからくる連鎖した問題だからです。それが国であろうが、その窓口であろうがどちらでも良いのですが、そうした仕打ちはいつかかえってきます。笑い事ではなくて生存権などの問題だからです。人が人として築き上げてきた権利保障をないがしろにする行為は人間の存在を捨てる行為です。こうしたことがここ何ヶ月間の動きだという報告をして、終わりにしたいと思います。ありがとうございました
実態1 生活の変化
実態2 自立支援法の理念から
(ァ)働く社会(ィ)公平なサービス(ゥ)みんなで支えるサービス
実態3 どうもなっていないが、どうすべきか。
(ェ)存続が危うい(ォ)自治体が動く(ヵ)ともに福祉を作る−障害者計画で−