貧困と格差をなくすつどい2007年2月10日

岡田健司


みなさん、こんにちは。

  ご紹介いただきました岡田です。あまり時間がありませんが、お話しきれないところは、今日お持ちしました「応益負担に反対する実行委員会」が編集した冊子、私自身も関わっているところですが、それらを見ていただければ何が問題で、何が起こっているかを知ることができますので見て下さい。ちなみに、冊子は一部500円で会場販売しておりますので活動費としてカンパしていただければ幸いです。よろしくお願いします。

1.自己負担の問題

  2006年は障害者福祉にとって激動の年となりました。本人の所得に関係なく、本人がサービスを使った分だけ一律に負担する仕組み、いわゆる応益負担を導入した障害者自立支援法が施行されたからです。応益負担とは本人に利益があるのだから本人が負担しなさい、というものです。すごく分かりのいい言葉ですが、しかしこの法律が稀にみる悪法の所以はここにあります。

  まず障害者本人が負担することに問題があります。自立支援法の前、障害者福祉サービスは支援費制度でした。そのサービス利用をしている障害者のうち18%が生活保護世帯、77%は収入が年金だけの世帯で、障害者の95%は低所得者層です。応益負担の導入によって、生活保護世帯を除く低所得者層に対しおおよそ1万円から3万円の負担がかぶさってきています。もう一点は、本人の利益とすることに問題があります。本人の利益と看做されるのはどのようなものでしょう。例えば、ごはんを食べる、トイレに行く、風呂に入る、布団に寝る。こういったことがあります。また通所施設で一般就労を目指さそうと訓練しながら働くということもそうです。さらに、施設入所の人は施設利用料、いわゆるホテルコストと呼ばれる食費・光熱費・人件費などがあります。そして、障害を持つがゆえの治療も含まれます。つまり、障害者が人並みに生きること、働くことは本人の利益で、たとえ地域から隔離され余儀なく生活させられてようが、障害を持った本人の自助努力にもとづいて解決しなさい、といわんばかりなのです。

   応益負担の導入が障害者の生活を直撃しています。食事を減らしたり、外出を減らしたり、病院に行くのを躊躇したり、生きていくことが窮屈になるばかりです。今後の生活を維持できるか不安を抱えてもいます。その点で、在宅障害者の暮らしは両親と生計を一にしていますから、障害基礎年金が両親の暮らしの足しになり、両親の収入が障害者の暮らしの足しになる関係です。この法律は生計を一にする世帯ごとに負担する仕組みに逆戻りしたので、どちらかが倒れたりすると生活していけないのです。親亡き後の心配をする障害者とその家族は多いでしょう。お金を払いながら働くということも事態を混迷させるのに充分です。労働をしているにもかかわらず利用者とされ、働くということは利用しているとされ利用料が工賃を大幅に上回っています。はたらく障害者は、工賃では払いきれず年金から持ち出しで払うということになります。利用料でもって働く意欲と能力を図るという不正があります。成人障害者だけではありません。障害児童にも暗い影を落としています。通園施設にかよう障害児童は発達途上です。その母親は子どもの成長を願うだけでなく子どもの障害と向き合い、受け止め、寄り添い、子どもへの教育に生かさなければなりません。しかし、1人ではそれを克服し解決するには困難なことが多く、これを放置しておくと家族に障害者問題を押し付けることにもなります。だから、通園施設の職員は障害児童とその母親家族を支援していく。それが療育ですが、子どもの発達と母親家族への支援とお金の多寡(たか)が天秤にかけられています。障害(児)者本人だけの話にはとどまりません。施設の運営が厳しさを増しています。福祉施設の収入は激減しています。これまでは月割り計算で支払われていましたが、日割り計算に変更されてしまいました。どのようなことかと言いますと、障害者が施設を利用した分だけしか収入が入らないということです。そうなると、施設を利用した分だけお金を取られる障害者と、どんどん利用してもらいたい施設という構図ができあがりました。もちろん決まったお金しか持たない訳ですから、施設の収入は前年比10%から40%減っている。つまりこういった中では、福祉施設職員や介助に従事する労働者に対する賃金の抑制が進み、働きにくい環境が一層強くなってきます。そもそも福祉サービスの報酬単価が低く設定されているため慢性的な人材不足であり過密労働にならざるを得ないのですが、本人が生計を立てるのに精一杯であるという のが現状です。

  応益負担の導入は予想以上の混乱と波紋をもたらしました。地方自治体では独自の軽減策を用意し、サービス利用が制限されたり、利用の手控えが起こったり、地域生活支援が実現できないような事態だけは避けようとしましたが、昨年9月25日付朝日新聞朝刊では、負担を軽減した自治体が4割にのぼる一方、6割の自治体が軽減策を取らず、あるいはとれずに、障害者に苦渋を強いる結果になっていることが明らかになっています。住む地域によって障害者本人の負担が異なる地域格差が広がっています。今年に入ってから国は3年間につき1200億、1年で400億を負担軽減策として予算を組みました。お金がない、お金がないと言い続けた法律です。実際、支援費制度のもとで不足した分は200億から300億です。本当にうそつきだと思います。本当に想像力の乏しい人たちがこの法律を作り、それをよいとし、事態を知ったら何食わぬ顔でポンとお金を出してきて、次の選挙にご協力してくださいと言うのですから、おこがましいにも程があります。

2.どうもなっていない、が、どうすべきか。

  自立支援法が成立するときから懸念されてきたことがありました。所得がない。働き口がない。住むところによってサービス格差が広がる。いずれにしても、こうした問題はここ何年間かの障害者福祉が取り組んできた、取り組もうとしていた課題となんら変わるところがないと言えます。どうもなっていないのでどうも問題になっている。障害者福祉の抱える問題はここにあります。

  応益負担をなくしてほしい。応益負担はやめてほしい。そう障害者は主張します。それは完全に正しく、ないところから取ることこそ正しいとは言えません。そもそも「健康で文化的な生活を送るため」に年金が支給されるのですが、その生活自体を個人の利益にあたると見るわけで、そうなると年金制度としての理念はどこかの党が謳うような「100年安心」でも何でもないのです。だから逆に、お金をくれ、仕事をくれというのはもっともな要求です。あたりまえの暮らしができない。暮らせるだけのお金がない。これはこの社会全体に広がっている問題ですが、応益負担の導入によって障害者福祉の問題もまた格差社会の縮図を示す結果になったというべきだと思います。

  こうした、障害者福祉の問題は、いまこの国が推し進める社会保障費を含む歳出の削減を徹底してやっていく方向に沿ったものではないでしょうか。そういった事態は障害者福祉の分野に留まるものではないと思います。生活保護の申請拒否、介護保険の実費負担、非正規雇用の劣悪な労働実態など、これら社会問題とされる事態に繋がることは「人としての尊厳」をないがしろにするという根本的な問題に突き当たらざるを得ないとも思います。折しも、近年の障害者福祉の問題は、いまこの国に内在する問題の一端であり、その当事者活動もまた他の分野にまたがる社会問題との連携と連帯を必要とする時期に来ているのかも知れません。なぜなら、人が人として生きることさえ守れない、人が人として再生していく過程も無慈悲に踏みにじる実態を目の当たりにしてきたからです。

  より良く生きていきたいと願う私たちだからこそできることがあります。人としての尊厳を守るためにご一緒に声を上げていきませんか。すべての人に向けてアピールします。