「人間らしく生きたい」実行委員会2007年6月25日  ラボール京都

能力は分配される−気づく、で変わるはあるか

岡田健司


みなさん、こんにちは。ご紹介いただきました、岡田です。


1. 能力≠生存

  障害者自立支援法は、本人の所得に関係なく、本人がサービスを使った分だけ一律に負担する仕組みです。これを応益負担と言います。つまり応益負担とは、本人に利益があるのだから本人が負担しなさい、というものです。すごく分かりのいい言葉ですが、本当のところで分かるかが大事です。ごはんを食べる、トイレに行く、風呂に入る、布団に寝る、病院に行く、あるいは就労支援を受けながら働くことが利益だとされます。これは単に、人間らしく生存するための方法に過ぎないからこそそれを利益にあたると見るわけです。

  確かに、ほんの一握りの人以外の、たいてい多くの人は、食べるために働いていて、健康にもちょっと気を使いながら、社会のルールを守りつつ自分以外の人のために何か役に立つことをしたいと願うものですが、それはあくまでも人間らしさの現れであって、その人の生存を保障するための資格ではないということを知っておいた方が良いのだろうと思います。

  先ほど述べたことが障害者はできません。人の手を借りて生活をします。しかしだからこそ、障害者の生存が大切にされれば人間らしさはおのずと発揮されることを一番よく理解しています。つまり人間の持っている能力と人間の本質とは何ら関わりのないところで話し合いがなされなければならず、さりとて、この世の中は人間の持っている能力が人間の本質を決定づけるかのような、本末転倒で、おかしな話がまかり通っているところに気づく必要があります。

  障害者自立支援法が稀代の悪法であるゆえんは、障害者というレッテルと、位置づけを肯定し続けてきて側が、その能力でもって本質を否定する、その無知蒙昧さが何らの反省もなく支持されているからです。けっして、伊達や酔狂で言っている訳でなく、生存のための方法が生存より価値ある社会は人間の本質が大事にされず、あたりまえに生存ができません。


2. 能力は分配される

  先ほど当事者の方々が話されたことは真実だろうと思います。歴史的にみても現在においても尚すべての部面にわたって障害者は一身に経験している事実があるからです。重度障害者に学びはいらないからと教育プアにされ、あたりまえの仕事ができないからと仕事プアにされ、就学期を過ぎたら家に閉じこもるか、家と施設との一方通行になるため人間関係プアにされ、戦後60年目のきな臭い憲法9条改正論議で明るみになったのは「戦争は障害者を生む」というどうでも良い話ではなくて、銃や刀をもてない障害者は役立たずであり非国民のそしりを免れない戦争プアな人たちだということです。少子化で学校は少なくなったとはいえ、どれだけ障害者に寄り添う教育が実現されたのでしょう。ほんのわずかで良心的な養護学校の先生方をのぞいてこの近所にある巷の学校でそれが実現されているのでしょうか。「働く障害者を支援します」と公言しておいて600万いる障害者のうち就労できるのはわずか8千人にし、そのわずかに就労できた障害者と指導員との賃金差も甚だしい中、新規に施設をつくっても指導員のための雇用創出の場でしかありません。?愛か放棄かで揺れ動く障害者を囲んでいる環境は身近にあって、障害を持っていることはごく自然なことであるにも拘らず、それをあたかも自分の責任であるかのように思い込み、それを思い込ませる抑圧はなくなりましたか。たかだか属性に過ぎない障害が、一方では個性と言われ、一方では限界と見られながら、そんなものが人間にとってかけがえのない生命を選別するのです。


3. 気づく、で変わるはあるか

  障害者自立支援法は人間の本質を否定する先鞭をつけました。格差されていく社会の危険はここにあります。人間は生まれながらにして知的であり、創造性があり、よろこびに満ち溢れています。それが人間の本質であろうと理解します。その人間の本質に対する積極的な支持がなければ、どれだけ個人ががんばっても這い上がることのできないアリ地獄の深みに入り込むしかありません。

  生活保護の申請ができずに死んでいく人がいました。働きたくても働く場所がなく、食べるのにも窮するため身体を壊すほんの手前でやっと福祉事務所に行きます。そんな保護課の担当者が放つ言葉は「働きなさい」でした。介護認定が軽いために介護ベッドを取り上げられる高齢者がいました。ベッドがあったから寝たきりにならず、みんなの集まる食卓を囲めて、庭の咲く花に水をさせる人です。それにも関わらず自己負担が払えず断念するのです。正規雇用と同じ仕事をしていても社会保険もままならない非正規雇用の人たちがいました。成果主義のもと希薄な人間関係がさらなるストレスを生みだし、長時間過密労働のため健康を害している人たちが後を立ちません。人間らしくあろうと願うから生活保護をもらいたかったのではないですか。寝たきりにならないためにベットが欲しかったのではないですか。一杯のコーヒーをいつも笑顔で給仕するために、すばらしい製品をつくり続けるために安定した労働を望むのではないですか。生きるということが何かと引き換えにされる社会はもうごめんです。ここに抵抗する側の道理があると思います。ともにがんばりましょう。



開催要項(外部リンク)