立命館大学臨時講義2007年11月22日  立命館大学

「問題もある、がその先もある」

岡田健司


1.これまでの動き、これからの動き

  この法律は、国が推し進める社会保障費を含む歳出の削減を徹底してやっていく方向に沿った形で進められ、作られたものです。2000年「介護保険」の導入は全ての国民が利用できる福祉サービスのイメージで、高齢者だけではなくて障害者ももちろんその中に含まれていました。その財源は保険料によってまかなおうと考えていたので雇用主負担を強いられる財界の猛反発を受け断念しましたが、しかし仕組みとしては国の負担50%、都道府県/市町村の負担25%をそれぞれ半分にし、のこりは保険料にしたのです。高齢者に自己負担が押し付けられました。高齢者に対する介護は家族中心で、親の世話は息子娘がするというのが社会の常識ですから、介護保険導入時の利用調査でも他人の手を借りて介護を使っていたのは4割ぐらいの高齢者で、まあそれぐらいの利用なら公費の負担はこれぐらいでいいだろう、と見込みつつ、サービスを自己負担にすればその分だけ使いすぎも生まれないだろう、という恣意さで、きっちりと歳出の削減をやった訳です。

  2000年に断念したけれども、この法律を介護保険に統合するねらいはいまだに残っていて2009年までの、いわばつなぎの役目をみごとに果たしているのですが、介護保険導入時にはさほど問題にならなかった問題、社会福祉制度に自己負担原則、いわゆる応益負担を持ち込んだ時限爆弾はどうやら暴発する直前に来ています。介護保険との統合の見送りも視野に入ってきたというのが役人の間にまことしやかに囁かれてています。なぜそうなってきたのか、というお話をこれからしていきます。


2.自己負担の問題

  2006年4月、本人の所得に関係なく、本人がサービスを使った分だけ一律に負担する仕組み、いわゆる応益負担を導入した障害者自立支援法が施行されました。応益負担とは本人に利益があるのだから本人が負担しなさい、というものです。すごく分かりのいい言葉ですが、しかしこの法律が稀にみる悪法の所以はここにあります。

  まず障害者本人が負担することに問題があります。自立支援法の前、障害者福祉サービスは支援費制度でした。そのサービス利用をしている障害者のうち18%が生活保護世帯、77%は収入が年金だけの世帯で、障害者の95%は低所得者層です。応益負担の導入によって、生活保護世帯を除く低所得者層に対しおおよそ1万円から3万円の負担がかぶさってきています(資料P.3.4)。もう一点は、本人の利益とすることに問題があります。本人の利益と看做されるのはどのようなものでしょう。例えば、ごはんを食べる、トイレに行く、風呂に入る、布団に寝る。こういったことがあります。また通所施設で一般就労を目指そうと訓練しながら働くということもそうです。さらに、施設入所の人は施設利用料、いわゆるホテルコストと呼ばれる食費・光熱費・人件費などがあります。そして、障害を持つがゆえの治療も含まれます。つまり、障害者が人並みに生きること、働くことは本人の利益で、たとえ地域から隔離され余儀なく生活させられてようが、障害を持った本人の自助努力にもとづいて解決しなさい、といわんばかりなのです。

  ちなみに京都では、障害者だけの世帯が約1万6000世帯あり、うち約1万5000〜2万世帯がホームヘルプサービスを利用していますが、応益負担の導入が障害者の生活を直撃しています。食事を減らしたり、外出を減らしたり、病院に行くのを躊躇したり、生きていくことが窮屈になるばかりです(資料P.8.9)。(P.7のように)今後の生活を維持できるか不安を抱えてもいます。その点で、在宅障害者の暮らしは両親と生計を一にしていますから、障害基礎年金が両親の暮らしの足しになり、両親の収入が障害者の暮らしの足しになる関係です。この法律は生計を一にする世帯ごとに負担する仕組みに逆戻りしたので、どちらかが倒れたりすると生活していけないのです。親亡き後の心配をする障害者とその家族は多いでしょう。家族に負担が懸からないよう世帯分離をした障害者本人もいます(資料P.16)。お金を払いながら働くということも事態を混迷させるのに充分です。労働をしているにもかかわらず利用者とされ、働くということは利用しているとされ利用料が工賃を大幅に上回っています。はたらく障害者は、工賃では払いきれず年金から持ち出しで払うということになります。利用料でもって働く意欲と能力を図るという不正があります。成人障害者だけではありません。障害児童にも暗い影を落としています。通園施設にかよう障害児童は発達途上です。その母親は子どもの成長を願うだけでなく子どもの障害と向き合い、受け止め、寄り添い、子どもへの教育に生かさなければなりません。しかし、1人ではそれを克服し解決するには困難なことが多く、これを放置しておくと家族に障害者問題を押し付けることにもなります。だから、通園施設の職員は障害児童とその母親家族を支援していく。それが療育ですが、子どもの発達と母親家族への支援とお金の多寡(たか)が天秤にかけられています。障害(児)者本人だけの話にはとどまりません。施設の運営が厳しさを増しています。福祉施設の収入は激減しています。これまでは月割り計算で支払われていましたが、日割り計算に変更されてしまいました。どのようなことかと言いますと、障害者が施設を利用した分だけしか収入が入らないということです。そうなると、施設を利用した分だけお金を取られる障害者と、どんどん利用してもらいたい施設という構図ができあがりました。もちろん決まったお金しか持たない訳ですから、施設の収入は前年比10%から40%減っている。つまりこういった中では、福祉施設職員や介助に従事する労働者に対する賃金の抑制が進み、働きにくい環境が一層強くなってきます。そもそも福祉サービスの報酬単価が低く設定されているため慢性的な人材不足であり過密労働にならざるを得ないのですが、本人が生計を立てるのに精一杯であるというのが現状です。

  応益負担の導入は予想以上の混乱と波紋をもたらしました。地方自治体では独自の軽減策を用意し、サービス利用が制限されたり、利用の手控えが起こったり、地域生活支援が実現できないような事態だけは避けようとしましたが、昨年9月25日付朝日新聞朝刊では、負担を軽減した自治体が4割にのぼる一方、6割の自治体が軽減策を取らず、あるいはとれずに、障害者に苦渋を強いる結果になっていることが明らかになっています。住む地域によって障害者本人の負担が異なる地域格差が広がっています。2007年には国は3年間につき1200億、1年で400億を負担軽減策として予算を組みました。お金がない、お金がないと言い続けた法律です。実際、支援費制度のもとで不足した分は200億から300億です。本当にうそつきだと思います。本当に想像力の乏しい人たちがこの法律を作り、それをよいとし、事態を知ったら何食わぬ顔でポンとお金を出してきて、次の選挙にご協力してくださいと言うのですから、おこがましいにも程がありました。


3.どうもなっていない、が、どうすべきか。

  自立支援法が成立するときから懸念されてきたことがありました。所得がない。働き口がない。住むところによってサービス格差が広がる。いずれにしても、こうした問題はここ何年間かの障害者福祉が取り組んできた、取り組もうとしていた課題となんら変わるところがないと言えます。どうもなっていないのでどうも問題になっている。障害者福祉の抱える問題はここにあります。

  応益負担をなくしてほしい。応益負担はやめてほしい。そう障害者は主張します。それは完全に正しく、ないところから取ることこそ正しいとは言えません。アンケートに答えてくれた障害者が、そもそも「健康で文化的な生活を送るため」に障害基礎年金が支給される現状を指摘しました。その現状に対しその額はそれを実現するには程遠いですが、そのことを無視し、そしてその生活自体を個人の利益にあたると見るわけで、そうなると年金制度としての理念はどこかの党が謳うような「100年安心」でも何でもないのです。だから逆に、お金をくれ、仕事をくれというのはもっともな要求です。あたりまえの暮らしができない。暮らせるだけのお金がない。これはこの社会全体に広がっている問題ですが、応益負担の導入によって障害者福祉に起こっている問題もまた格差社会の縮図を示す結果になったというべきだと思います。

  それでちょっと介護保険との統合も手が付けられなくなってきた。これだけ多くの人が格差社会のことを語り、格差を助長させている張本人まで「だめだ」と言うのですからよっぽどなんですね。ではどうすべきか何です。素人が政策の話はできないですが、こうした方が良いと考える範囲のお話をして終わりたいと思います。

  まず、どのようにあっても人が暮らせるようにするための所得保障をすること。はたらこうがそうでなかろうが暮らせるだけのお金を得られるようにすること。年金や生活保護もその一つですが、それがそうなっていません。その支給の水準が、働く人の動機を保つために傾斜をつけているとすればそれにとどまるからです。しかし、より多く働いた人、より多く持っている人から税の徴収(累進税率)をすること自体それをさまたげる理由はないのですから、そうすべきだということになると思います。例えばそれは所得の分配だけではなくて労働の分配も含めた方が良いのだろうと思います。就職の機会は働ける環境にないという条件だけでなく、働けている人に独占されているという条件もあるので、所得を得るために就労を要求するのは不当になりますが、所得の分配のための税の徴収と給付を容易にすることにはなります。こういった指摘は、この大学の院に在籍されている立岩真也先生も述べられていることなので、学部を超えて検討していただければうれしく思います。

  悲惨な事実があります。けれども、それをそのまま受け取って終わりにするのではなくて、実現されるべき社会のあり方を考えるきっかけにしてもらいたいと考えます。実現されるべきことが容易に実現されないとしても、そうなっていない現実の側に不正を突きつける力を持ってもらいたい。そうすれば結局はみなさんの基本的な態度に変わっていくと思います。

以上です。