街頭宣伝2009年7月20日

「着床前診断」コメント

岡田健司


  「着床前診断」とは、精子と卵子を取り出して体外受精させ、健康で優良な受精卵のみ着床させることを言います。これは女性が妊娠をした時、定期健診でエコーをしたり何か異常があったときに羊水検査をしたりと、これまで当たり前に行われてきた「出生前診断」の一種にあたります。

  2004年、大谷産婦人科(神戸市)大谷院長が着床前診断を3例実施したことが倫理的な問題等に抵触するとして、産科婦人科学会は同院長を除名処分にしました。その後、学会規則に反する代理出産を実施した諏訪マタニティ・クリニック(長野県)根津院長らと「着床前診断を推進する会」を立ち上げるなどして実態づくりが着実に進んでいます。着床前診断を推進する人たちは、着床前診断が、精神的・肉体的負担をもたらす人工妊娠中絶や流産を避けることができ有用であると言います。しかし、そうしたリスクを回避したとしても3つの大きな問題もあります。

  1つ目は安全性の問題で、体外受精をするために卵巣から卵を取り出しますが、排卵を促すために多量のホルモン注射をしなければならず卵巣が腫れる・腹水が貯まる・血管に詰まる等の副作用が起こります。また卵巣に針を刺して発育した卵を採取する採卵も、女性にリスクのある行為です。2つ目は生殖医療技術の問題で、試験管で培養された健康で優良な受精卵は子宮に戻されます。その時に子宮へ戻す受精卵の数によっては胎盤を共有する多胎となり、均等に血液が送られず血液量が不足したり心臓に負担がかかることがあります。その他に、生体内とは違った試験管で育てられた受精卵に生じるプラダ―ウィリー症候群やアンジェルマン症候群等の疾患を持つ可能性もあります。3つ目は適応疾患の問題で、日本産科婦人科学会は実施基準に「重篤な遺伝性疾患」を持つ場合認めるとしており、成人に達するまでに寝たきりになるか、もしくは生きられないものを指すとしています。しかし実際これらの判断基準はあいまいで、重篤と診断された多くの障害者たちが20歳を超えて生きており、寝たきりになっても日常生活を営んでいます。また、これまで普通に暮らしていた人が、いわゆる植物状態(寝たきり)になったとして生きることを否定される云われはありません。つまり、その人がどのような状態にあっても生きることを左右しないもの、それが命のはずであり、20歳まで生きられなくとも20歳まで精一杯生きた命はどれ程この世に沢山あったかははかり知れません。着床前診断が「きわめて倫理的な問題を含んでいる」と指摘されるのはここにあります。人が、人の命の価値づけ・選別をしても良いのか?「障害ある人生は不幸」だというキャンペーンの中、女性の子どもを産みたいという気持ちが選択的に生まないとなる仕組みにしておきながら、あたかも人工妊娠中絶よりも倫理的に救われるかのような差別を、患者と家族にとってメリットとするのは何故か、そのことについて医療者側から答えはまだないように思います。

  私は、障害を持って生まれたことを、生きられることを心の底から嬉しく思います。けっして、障害を持って生きる事は楽ではなかったし、簡単なことでもありませんでした。しかし、私が、与えられた状況の中で自らの人生を選ぶこと、そしてその選んだ人生に対してサポートをくれる人たちがいたことは、幸か不幸かという価値観で、どちらが優れているかという価値観で、障害そのものの損得を考えませんでした。むしろ、人が生きる上で幸や不幸はつきもので、当たり前の経験です。その当たり前の経験を、人間の浅知恵によって台無しにされたり、奪うのはもう止めにしてほしいと思います。いまを生きるすべての人が、自分の人生を省みて、それでも尚生きていて良かったいえる社会であるならば、着床前診断をなくす何よりの契機となるのは間違いがないと確信しています。私たちは、そのことを胸にこの着床前診断に反対をしています。