街頭宣伝2009年7月20日

街頭宣伝コメント

岡田健司


みんさん、こんにちは。

  私は、自立生活センターアークスペクトラムの岡田です。

  私たちの団体では、どんなに重度の障害を持っていても、施設や病院や、在宅ではなく、地域で暮らしたいと願う障害者の地域生活にかかわるさまざまなサポートを行っています。

  本日は、「障害者自立支援法における応益負担は違憲である」と全国一斉提訴した裁判がありますが、その京都裁判の経過と、ここ1カ月の間に議員立法の運びとなった改正臓器移植法についてのお話をしたいと思います。

  障害者自立支援法における裁判は、障害者本人の所得に関係なく一律にサービスに応じた負担を強いる応益負担が障害を個人の責任にし、自助努力によって解決を迫るのは自立支援法の趣旨にも反し、法律違反であると訴えを起こしました。これまでの障害者福祉の自己負担原則を大きく変えたものでしたが、先日、6月1日、京都地裁での第2回口頭弁論が行われています。原告の稲継学さんは共同作業所に通い、地域での社会生活を営む人でしたが、作業所で働くということがサービスだと捉えられ、利用するなら利用料を取られることになりました。被告の厚生労働省立会いのもと、原告弁護団は障害概念を示し、世界的に見て、障害概念は個人的なものという理解を超え、社会的なものという考え方が定着しつつあるとの考えを示しました。そして、障害の自立観も、これまでの障害が個人的な事柄に属するものであるということからすれば「自助努力で、身辺自立や経済的自立を果たす」ことが求められるとしつつ、個人のできる・できないという能力に特化した自立観であったと述べ、これに対し障害が社会に内在する社会的な障壁とするならば、社会的なサポート体制がありさえすればすべての障害者が自立可能であると訴えました。その点で、障害者自立支援法第1条の「障害の有無にかかわらず国民相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現」に寄与するならば、すぐさま応益負担は撤廃すべきだと主張しました。するならばこれに対し、厚生労働省の弁論は、障害者自立支援法は障害者のみが受けられるサービスであり、健常者は含まれないことを理由に、人権侵害でも法律違反でもないと断言しています。次回の公判は、8月24日(月)13:10より始まります。

  つづいて、先月5月15日提出、5月29日に実質審議入りした臓器移植法改正4法についてです。この改正は、自民党による議員立法であり、今月6月18日に採決の見通しとなっていますが、あらためて慎重審議を望みたいと思います。改正の要点は、脳死を人の死とすること、ドナーからの臓器提供に本人意思を問わないこと、15歳未満の未成年からの臓器提供を可能とするものです。たしかに、臓器移植法のもとでは、脳死となる前の段階で意思表示をすることが少なく、子どもの臓器移植は国内では不可能で、多くの場合海外での渡航によって臓器移植を行っているという現状があり、多額の費用もかかります。そして、改正を望む人たちの中には子どもの命を救いたいという親の切なる願いがあります。

  しかし、私たちはこの改正臓器移植法に反対し、この法律が本当の意味で生の尊厳と、生の保障を実現するものにするための改正を実現するために運動をしています。その理由は3点にわたります。まずは、脳死を人の死とすることには疑ってかかってよいと思います。これまでの臨床でも、3年5年脳死状態の人が生死をさまよいつつ回復した事実はご存じだと思いますし、脳死状態といってもその人は生きていますから、寝たきりという状態のあり方で命の選別をすることは道徳的にいってもおかしいと思います。また本人の意思を尊重することなく、臓器移植を可能とすることについても同じです。改正前の法律下でさえ、その人の家族が延命措置を止めると判断し、医者が手を下したことにさまざまな議論を呼び、まだ国民的合意に至っていないのが現状です。一時期、脳死状態にある人が死を選ぶことを尊厳ある死と呼ぶ風潮がありましたが、生きているはずの人を延命することなく、出来る事をしないだけで、誰にとっての尊厳ある死なのかはなはだ疑問です。とりわけ、子どもの臓器移植に関しては、脳死状態から回復する可能性が高く、その子どもの生命力の現れですが、その子どもと親が向き合う状態は大切なものです。やはりまずは、その人がどんな状態であれ、生きているということを積極的に支持する法律を作ることが大事ではないでしょうか?

  本日、街頭でお配りしているチラシは障害者自立支援法についてと、着床前診断の2種類ですが、着床前診断についての様々な問題についての考え方も共通することがあります。ぜひ一度チラシを読んでいただきこれらの問題について考えていただきたい。そのように願って報告を終わります。