アークスペクトラム主催シンポジウム「自立生活センターの歩み〜これまでの記録と記憶。これからの希望〜」2009年10月24日 ハートピア京都
主催者あいさつ
本日は、ご参加いただき誠にありがとうございます。設立間もない団体がこのような機会を作れたのも、こころよく引き受けてくださった安積遊歩さん・立岩慎也さん、そして設立に際し数々のアドバイスをくれた多くの先輩や仲間あってのことである、とつくづく思います。
私は逆子でうまれました。その数年前、保育園にかよっていた兄が交通事故で亡くなりました。私には一人妹がいます。西陣織物の二男としてうまれた運動家の父親がおり、電気屋のお嬢様としてうまれた母親がいます。一人ひとりの歴史を見れば、点は小さいかもしれません。しかし、一人ひとりが家族としてまとまり、歴史を作れば太くて大きな点と線が出来上がります。
「障害」という言葉のイメージを皆さんお持ちでしょう。そのすべてを否定する訳にいかないものもあります。しかし、そのイメージは、生まれた時からすでにそこにあって脈々と受け継がれてきたという側面があります。だから、障害者差別という言葉を聞けば畏怖し、その言葉におののくこともありますが、一概に、人に対する差別をしたくてやった訳ではなく、障害そのものが持つイメージそのままに「その人」に向き合ってしまった。そういう捉え方ができるかも知れません。
私の親は障害を持っていても、この社会で生きていくための技術を教えてくれました。だらしのない身だしなみを正し、礼儀を持って人に接し、弁護士という社会的地位が保障される職業のもと、社会的弱者を守れる、そんな人に育っていくことを応援し、生命の淵に瀕して入退院を繰り返していたその時期に、ありったけの体力とお金を注ぎこんでくれました。妹も、心身ともに成長していく多感な時期に、兄にかかりつけで親がいないなかでも育ち、親のいいつけを心に秘めて一人暮らしをするまでの生活をともにしていました。
振り返れば何がいけないのか。断言できるものが早々に見つかりません。なぜなら、障害を乗り越えて、うごけない身体ではなくうごく頭を働かして生活をする、そのことは内在したイメージがあったからです。そして何より、イメージそのままに向き合えなかったがための対話を避けなかった、ということが大きいと思うからです。それは幸せなことなのかもしれません。
私は、一人暮らしをする数ヶ月前、障害を持って生きる技術があることを知りました。そんな本がありました。そして実際にその技術を駆使して生きる人がいました。いまこうして書いているような事も学びました。私の人生は捨てたものではないと実感もしています。自立生活センターはお金儲けのための障害者支援をしません。社会を変えるために、社会貢献のためにお金を使います。それは、「障害」というレッテルを無条件に受け入れそのままに生きざるを得なかった障害者が本来の力を取り戻し、力強く、捨てたものじゃない人生を生きる、そういった決意のできる明日を作ります。またイメージそのままに障害者と向き合うことに苦しむ人たちにメッセージを送り続けていきたいと思っています。
−ともに生きていきましょう。